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個別記事の管理2010-05-09 (Sun)

緊急警報、緊急警報。
京都が龍馬色に染まってます!
龍馬警報発令ですっ!
最近、京都を歩いたら必ず坂本龍馬の顔写真に出会ってる気がする(笑)
ダ○ソーすら家紋バッチ売ってるし・・・・( ̄▽ ̄;)
いや~京都はこういう宣伝材料に乗っかるのが本当に上手ですねぇ。
幕末好きには嬉しい限りです。
京都駅でも空中経路で12月まで幕末人物のパネル展示が行われています。
幕末について詳しくかつ分かりやすく説明されていましたので、
幕末なんか興味ねぇよって方も、まあ一度行ってみてくださいな♪


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今日はただの幕末宣伝でぃーす
・・・・って、あああっ!!!龍馬伝の再放送録画し忘れたぁぁっ
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個別記事の管理2010-01-07 (Thu)
立誠小学校近くの細い路地にポツンと建つ地味な神社ですが、
坂本龍馬ゆかりの神社とあって幕末ファンの間ではよく知られた神社です。
少し前に、当ブログでお世話になっております沙都様より
土佐稲荷にある龍馬像が新調されたとの情報をいただきまして、
NEW龍馬見たさに足を運びました(≧∀≦)
沙都様、幕末好きにオイシイ情報をありがとうございます♪




【土佐稲荷の歴史】
 ・1348年、鴨川の中州の岬に祠が建つ。
 ・江戸時代初期に土佐藩邸内に移動。
  (近所の人が藩邸内を通り抜けて参拝してもOK)
  土佐稲荷、または岬神社と呼ばれる。
 ・明治維新で土佐藩邸が売却されてしまい、神社は下大阪町に移る(T_T)
 ・1887年、近江屋の主人・近江屋新助が土佐藩邸を買い取り、現在地に移る。


土佐藩邸にあったので、土佐藩士はもちろん坂本龍馬も
土佐稲荷に参拝していました。
現在、土佐稲荷の宮司は八坂神社の宮司さんが兼任されているそうです。



で、肝心の龍馬像ですが、本当にピカピカになってました
以前は石膏でできた像が飾られていたのですが、あろうことか
心無い龍馬ファンが「龍馬にあやかろう!」と龍馬像の頭を削って
そのカケラを持って帰ってたというから驚きです!!!
初めて見た龍馬像は、頭が半分なくなった無残な姿だったので仰天しましたよ!!!
そんなことする人、本当の龍馬ファンじゃないよー(T□T)ノ
新しい像はひどいことにならなければいいなと思います。

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個別記事の管理2009-12-26 (Sat)

来年の大河ドラマ「龍馬伝」にさきがけて、今年の9月に
こんな碑が建立されてたんですね。
龍馬とお龍の結婚式が行われた金蔵寺跡の東山ユースホステル前に
「式場跡」の碑がババンと建ってました。
これは龍馬とお龍にあやかって、この場所に泊まろうって
人が増えそうだぞー

他にも気づいてないだけで、龍馬関係の碑がバンバン建ってたり
するのでしょうか?
(篤姫の時は小松帯刀の屋敷跡碑が建てられてましたけど)

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龍馬像 * by 沙都
そんな感じですね。
坂本龍馬や土佐関連の石碑は建っているようです。
そんなに興味(石碑巡り)がないので分かりませんが…

つい先日、
土佐稲荷岬神社にある坂本龍馬像を修復されたり…
ここの龍馬像は御影石で作られています。
修復前は、
顔の部分が半分ぐらいなくなっていました。
場所は、元・立誠小の北側の道の中間点。
四条河原町の近くです。

* by さくゆずき
Re → 沙都様

土佐稲荷の龍馬像、修復されたんですね!
よかった~!!!
初めてあの状態の竜馬像を見たときは、びっくりして
「ギャーーーーッ!!!!」と猛ダッシュで逃げた思い出があります。
土佐稲荷の場所が薄暗い感じであるのと、どうにもあの龍馬像から
近江屋で頭を割られた龍馬の姿が彷彿されるのとで、
最初に足を運んだ時以来、近づいてもいなかった小心者ですが、
これで安心して行くことができます(笑)

個別記事の管理2008-08-29 (Fri)

寺田屋騒動の現場となり、また坂本龍馬を匿った船宿「寺田屋」
伏見を訪れた修学旅行生のほとんどはここを見学するのではないでしょうか?



寺田屋の前には「寺田屋殉難九烈士之碑」が、庭の方には
「寺田屋騒動記念碑」が建っています。

<寺田屋騒動ってナニヨ?>
 寺田屋には倒幕派の薩摩藩士が集まっていました。
 彼らは「幕臣も佐幕派の有力者も殺してしまえー」と、倒幕に燃えてましたが
 薩摩藩自体は倒幕の意思はないのに、そんなことされちゃ藩的には具合が悪い。
 そこで島津久光は 「そんなことはやめろよ」と、9人の藩士を説得に派遣。
 しかし説得に応じなかったため、薩摩藩士同士で斬り合いになりましたとさ。


まあこれが寺田屋騒動の大体の流れです(超適当)



寺田屋の庭は無料で入れました♪
「坂本龍馬像」、写真で見た時は円山公園にある像ぐらいに大きいものと
思ってましたが、ちっこいですね・・・・40cmぐらいでしょうか?
右の写真は「坂本龍馬の碑」らしいですが、何て書いてあるのか分からない汗



写真左は「女将お登勢と寺田屋由来碑」
思えば碑の多い庭だなぁ・・・・
写真右の井戸は維新当時からあったものだそうです。



中に入るとそこはもう龍馬まみれの世界です。
竜馬が竜馬の竜馬で竜馬だらけって感じ!
龍馬ファンには堪らないでしょうね!
写真下が龍馬が泊まっていた「梅の間」



レプリカではありますが、龍馬が使っていた刀やピストルが飾られています。
空いてる時間だったので、あぐらかいて座ったり、ゴロ寝してみたりして
龍馬気分を味わってみました☆



柱に目をやると生々しい弾痕や刀傷が!
(って、刀傷はちゃんと写せてないですけど)
ちょっと触ってみたら、やっぱり他の人もみんな触っていくんでしょうね、
磨耗してツルツルでした(笑)



これがかの有名な風呂と階段ですねっ!
龍馬の恋人・お龍が風呂に入っている時、龍馬を捉えようとする捕り方が
来たことに気付き、スッポンポンで階段を駆け上がって龍馬に危機を
知らせたとされています。愛ですね~
ためしに階段を駆け上がろうとしてみましたが、結構急なんですよコレ。


1階には寺田屋女将・お登勢の部屋はまた賑やか。
色紙やらポスターやら目をひくものがいろいろ飾られていました。
観光客の憩いの場にもなっているようです。
お土産売り場もあるのですが、何故か新選組グッズまで・・・・
龍馬からしたら敵なのに?( ̄A ̄;)


今でも宿として使われていて、予約したら宿泊することもできるそうですよ♪
龍馬ファンであれば一度は泊まってみたいお宿ですね!


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【見学料金】 大人400円  学生300円  小学生200円
        (幼児は中に入れないのでご注意下さい)
【宿泊料金】 6500円(要予約)
【見学時間】 10:00~15:40
【定休日】 1/1~1/3 月曜不定休
【場所】 京都市伏見区南浜町263
     
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個別記事の管理2008-06-13 (Fri)
淀城をご紹介した際に「戊辰戦争」について少し触れましたが
淀には戊辰戦争関連の場所が多くあります。
辿っていくと東軍戦死者の慰霊碑がほとんどで、旧幕府軍と
官軍の戦いの激しさや、両軍の兵力差がうかがえます。


【妙教寺】

戊辰戦争時のおもかげを残す史跡が少ない中、唯一当時の様子を
垣間見られる場所です。旧幕府軍は淀城に移る前はここに布陣したそうですが
官軍に攻められて、大量の銃弾を撃ち込まれました。
現在も本堂に銃痕は残ってるとのことですが、非公開みたいです。


境内の二箇所に碑が建っていて、うち1つの碑の文字は
あの榎本武揚が書いたものだとか!
お墓っぽい感じだったので写真は撮ってないですが・・・・


【八番楳木戦場跡】

京都競馬場の駐車場横にひっそりと佇む慰霊碑。
この辺りは「千両松」と呼ばれ、激戦が繰り広げられた場所です。
淀には新選組の歴史を追ってきたのですが、ここで新選組は
六番隊組長・井上源三郎を含む20名以上の隊士が戦死、
監察方の山崎烝も重傷を負い、後に死亡しました。

彼らの無念が残っているのか、この場所には新選組隊士の
幽霊が出ると言われています。
ここには現在の慰霊碑が建つ前にも戦死者の慰霊碑があった
そうなのですが、競馬場の工事で碑を移動させてからというもの
事故が続出して、新選組隊士の幽霊が「もとの場所に戻せ」と
毎晩のように工事関係者のもとに現れたという話です。
慰霊碑を建て直してからは幽霊騒動はなくなったそうですが・・・・
今でもお花が供えられてるあたり、単なる噂ではないんだろうな(´A`;)


【鳥羽伏見戦跡地碑】

歩道の真ん中にポツンと建つ慰霊碑。
見た目的にはお墓ですが、建立が昭和47年なので
たぶん埋骨地ではないのでしょう。
八番楳木戦場跡の慰霊碑の建立年(昭和45年)と近い年に
建てられているので、幽霊騒動に関連した場所なのかもしれません。


【長円寺】

戊辰戦争の東軍戦死者が埋葬されているお寺です。
門前(写真左側)に「戊辰役東軍戦死者之碑」があり
境内には「戊辰役東軍戦死者埋骨地之碑」が建っています。



【東運寺(左上)】
長円寺の隣にあり、こちらも東軍戦死者埋骨地。
墓地のほうに慰霊碑(お墓?)が建っていました。

【文相寺(右上)・大専寺(左下)】
同じく東軍戦死者埋骨地。
門が閉まってたので自由に出入りはできない感じでしょうか?

【光明寺跡(右下)】
お寺は残っていませんが、軍戦死者埋骨地碑は現在も
地蔵堂の脇にひっそりと残っています。
木の枝に埋もれて少し寂しい印象を受ける場所でした。


私は行ってないのですが、他にも愛宕茶屋埋骨地、
納所会館前の戦場跡碑などがあります。
結構広範囲に散らばっているので、結構な運動になるかもしれません。


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【地図 (※拡大してご覧下さい)】

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* by にぽぽ
さくゆずきさん、はじめまして にぽぽと申します。
にぽぽも戊辰戦争の址とたずねて、淀川をずーっと歩いたのですが、歩ききれなかったところを、さくゆずきさんに見せていただきました!次回京都に行ったときには、千両松から淀を歩きたいと思いました。ありがとう!!

* by ゆずき
Re → にぽぽ様

コメントありがとうございました!
淀って観光するにはマイナーで、しかも戊辰戦争なんてネタ的にマニアック
だし、これは最後まで読んで下さる方がいれば上等!っていう気持ちで
いたので、本当に嬉しいですvv
私は門が閉まっちゃってるところには入っていけなかったんですけど(←小心者;)
きっとどこのお寺とも参拝は可能だと思うので、是非、淀-千両松の戊辰戦跡を
制覇しちゃって下さい!

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