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個別記事の管理2011-04-12 (Tue)

人気スポットだけあって、混雑度もハンパじゃないです!
桜見に来たんだか、人間を見に来たんだかわかりゃしない(笑)
それでも毎年来てしまうのは、やっぱり桜が見事だからなんですよね~



銀閣寺周辺の混雑はヤバイですが、法然院あたりまで行くと大分マシかな?



銀閣寺周辺にある茶店の自家製さくらソフトがうま
桜の葉っぱが入ってました♪
哲学の道ではつまみ食いもお楽しみの1つです(≧∀≦)


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個別記事の管理2011-03-24 (Thu)
皆様、大河ドラマはご覧になられてますか?
私は戦国時代に興味はなかったのですが、「江~姫たちの戦国~」
めちゃ分かりやすくて、すっかりハマってしまいました(笑)
ドラマでは浅井三姉妹が秀吉によって悲しい思いをさせられてる最中で
ますます目が離せません(>_<)

そして今回紹介するのは豊臣秀吉ゆかりの場所・・・・なのですが、
ここは世にも恐ろしい由来がある、

怨念渦巻いてそうなスポットです。


1597年、豊臣秀吉は朝鮮に出兵。
秀吉の軍は、武将も一般人も老若男女も問わず21万人を斬殺します。
戦国時代、殺した証拠に殺した相手の首を持ち帰るという習慣があったのですが、
あまりに殺しすぎたため首を持ち帰ることはできません。
それならば・・・・と耳を斬り落とし、それらを塩漬けにして日本に持ち帰り、
この耳塚に埋めました。


というのがこの耳塚にまつわる話です。
途中から「耳だと2枚あるから何人殺したかわからない」ということになって
鼻を斬り落としているので、実際は「鼻塚」のようですね。
どっちにしろ清々しい歴史のスポットではないのは確かです( ̄ω ̄;)



それでも地元の人には憩いの公園だったりして。
これだけ怨念に満ちてそうな場所が、心霊スポットにならずに済んでいるのは
地元の方々が花を手向けて日々供養してくださってるからかもしれません。


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【最寄駅】  市バス「三十三間堂」、京阪「七条」

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個別記事の管理2011-03-12 (Sat)
【宗 派】 臨西宗建仁寺派
【本 尊】 阿弥陀如来
【創 建】 1358年以降?
【開 山】 龍山徳見(りゅうざんとっけん)



両足院は、半夏生の花が綺麗なことで有名な建仁寺の塔頭寺院です。
庭園が全部で4ヶ所もあるので、庭園好きな人には見ごたえがあるはず!
入口から白砂の光る庭園で目を楽しませてくれます。



角度的に建物を撮ることはできませんでしたが、
方丈は何度も火災に遭い、現在の建物は幕末に再建されたものだそうです。



では両足院の見どころや豆知識を紹介させていただきます。

◆龍山徳見和尚
   両足院を創建した和尚さん。
   22歳で中国へ留学し、40年間も修行したそうです。
   帰国後は足利尊氏に招かれて、建仁寺・南禅寺・天龍寺の
   住持を務めました。
   方丈には龍山徳見と、臨西宗を伝えた栄西の掛け軸があります。

◆両足院とおまんじゅう
   両足院を創建した龍山徳見が中国から帰ってくる時、
   一緒についてきた林浄因という中国人が、日本にまんじゅうの作り方を
   伝えたので、両足院は「まんじゅうの始祖の寺」と言われています。
   現在も林浄因の子孫の方がまんじゅう屋を続けられているとのこと。
   東京にある塩瀬総本家(http://www.shiose.co.jp/)という店らしいです。



こちらの庭は桃山時代の庭で、苔が水の流れを表現しています。



こちらは300年前に作庭された鶴亀の庭です。
作庭したのは茶道・藪内流の竹心紹智(ちくしんじょうち)
どこが頭でどこが羽?ってのはいまいちわからないのですが、
池の形は鶴の形になっているそうです。
6月から7月にかけて、池の周りは600株の半夏生で埋め尽くされるとのことで、
毎年その時期には特別公開が行われています。



鶴亀の庭にある茶室は臨池亭(奥)水月亭(手前)

 【臨池亭】
   大村彦太郎が別荘に建てた茶室を寄進したもの。
 【臨池亭】
   織田有楽斎が建てた如庵(国宝)と全く同じに作った写し。
   本物はいろいろな人に転売されて、現在は愛知県犬山市の
   ホテルにあるそうです。
   建仁寺の正伝永源院にも同じように如庵を写した茶室があります。



長谷川等伯の襖絵や屏風など、両足院には寺宝もいっぱい♪
書院には伊藤若中雪中雄鶏図がありましたが、
普段は国立博物館に所蔵されてるそうです。


特別公開期間は2011年3月21日(月)までです。


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【場 所】 京都市東山区小松町591

【最寄駅】 市バス「祇園」・京阪「祇園四条」
       阪急「河原町」

【拝 観】 2011年3月21日(月)まで特別公開中

【地 図】 地図を表示

【H P】 http://www.ryosokuin.com/

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個別記事の管理2011-03-09 (Wed)
【宗 派】 臨西宗
【本 尊】 釈迦如来

【正伝永源院の歴史】
 ★もともとは永源庵正伝院の2つの寺だった。
 ★正伝庵は荒廃していたが、織田有楽斎によって1618年に再興。
 ★永源庵は南北朝時代の創建で、細川家の菩提寺だった。
 ★明治時代、廃仏毀釈で永源庵が廃寺になる。
  お堂は残っていたので、正伝院が永源庵跡に移転。
 ★寺の名前は「正伝院」となっていたが、その時の
  権力者が永源庵を菩提寺にする細川家の人だったので
  「永源庵の名前は残しとかなあかんやろ~」ってことになり
  正伝永源院と呼ぶようになった。




正伝永源院は建仁寺の塔頭寺院で、
かの有名な戦国武将・織田信長の弟である
織田有楽斎(長益)にゆかりがあるお寺です。



織田有楽斎は、信長の死後は千利休に弟子入りして
茶の道に進んでいきます。
荒れ果てていた正伝院を再興させて、晩年は茶道三昧の
生活を送っていたそうですよ。
では、見どころを紹介していきます。

 ◆蓮鷲図
   ・狩野山楽によって描かれた襖絵。
   ・季節の移り変わりが表現されています。
    最初はきれいに咲いていた蓮も、襖絵をグルリと見回していけば
    最後には散り落ちてしまっていました。
   ・もともと正伝院にあったもので、襖の上の方には
    永源庵の襖のサイズに合わせて、継ぎ足したような跡が
    残っています。

  ◆織田有楽斎坐像
   剃髪してるからその姿は普通にお坊さんです。
   目がパッチリして、お兄さんの信長とはあんまり似てないかも?



庭は紅葉の頃がベストシーズンのようですね。
パンフレットの紅葉がすごく綺麗だったので、
秋にも特別公開してほしいな~と思わずにおれません。



庭の片隅にある茶室は織田有楽斎が完成させた国宝の如庵・・・
ではなくて、その写しです。
この写しの如庵は平成8年に完成したものですが、
本物は三井財閥への売却から始まり、いろいろなところへ
売却されていき、現在は愛知県犬山市のホテルが所有してるそうです。



境内には織田有楽斎と、その子孫の墓も残されていました。


特別公開期間は2011年3月21日(月)までです。


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【場 所】 京都市東山区小松町576

【最寄駅】 市バス「祇園」・京阪「祇園四条」
      阪急「河原町」

【拝 観】 非公開

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個別記事の管理2011-03-02 (Wed)
 【宗 派】 天台宗 
 【本 尊】 大日如来
 【創 建】 1595年
       
 【豊国神社の歴史】
  ★1599年(慶長4年)、豊臣秀吉の死後に豊国社が造営される。
  ★が、豊臣家が滅亡!
   徳川幕府の時代になると社号も廃止になり、そのうち荒れ果ててしまう
  ★明治時代になると、明治政府によって豊国社の再興開始
   新日吉神宮の神楽殿を仮本殿にしてようやく再興
   1873年(明治6年)、豊国神社になる
  ★1880年(明治13年)、現在地に移る





このお寺、今でこそ小さくひっそりとしていますが、
その昔は豊臣秀吉が19mの大仏を建立した、おったまげた規模のお寺でした!!
東大寺の大仏が台座と座高を合わせて18mちょっとぐらいなので、
それよりデカイってことですよね?!
大仏殿に到っては高さ50mにもなったとか・・・・
しかーしっ
残念ながら大仏殿完成の翌年


地震でペシャンと倒壊Σ( ̄□ ̄;)



そんな漫画的悲劇に見舞われつつも
秀吉の息子・秀頼によって大仏殿の再建が始まります。
同時に大鐘も鋳造したのですが・・・・


それがまた悲劇の始まりだったんです(ノωT)


トラブルの種は鐘に刻まれた銘文
 「国家安康・君臣豊楽」
これが徳川家康の目に触れ怒りを買ってしまいます。
何が家康を怒らせたのかと言うと


・君臣豊


「『家康』の文字が切り離されてるのに『豊臣』の文字はひっついとるやんけ!!!
 どーゆー了見じゃゴルァーーッ!!!(ノ`Д´)ノ
 わしの名前切り離して呪いかけたんやろ?!上等やんけ!!!」


ということで、現在なら「しょうもない因縁つけやがって」で事は済むかと思いますが
そのしょうもない因縁が大阪夏の陣・冬の陣の火蓋を切ってしまい
豊臣家は滅ぼされてしまうんですから、怖いですね~戦国時代!
何がきっかけで家が滅ぶかわかりやしない・・・・



これがその部分。白く囲まれているのですぐに見つけられると思います。


しかも悲劇はまだまだつづく


豊臣家滅亡後も、大仏殿は何回も何回も再建されますが、
その結果はと言うと・・・・

 1596年、地震で倒壊
 1602年、造ってる途中に放火で焼失
 1662年、地震で倒壊
 1798年、雷が落ちて消失
 1973年、火事で消失


なんかもうこの寺、大仏にご縁が無いんじゃね?って感じです( ̄▽ ̄;)
次の再建はいつになることやら・・・・・



このデッカイ石をズラリと並べた石塁は、秀吉が諸国の大名に寄進させたもの。
どれだけの権力があったのかが覗えます。
大仏殿の跡は公園になっており、2000年には発掘調査が行われたそうです。


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【場 所】 京都市東山区大和大路正面茶屋町527-2

【最寄駅】 市バス「博物館三十三間堂前」「馬町」
       京 阪「七条」

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【拝観料】 境内無料

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